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19世紀~20世紀初頭の風景 Part1-顎当て



顎当てと肩当てが一般的に広く普及したのは20世紀も四半世紀を過ぎてからであり、我々が知るところの顎当てと肩当てのセットに落ち着いたのはつい最近のことだ。1915年頃までは顎当ての使用に否定的な意見があって当時の音楽雑誌では顎当ての可否が議論されており、その頃までは顎当てを使わない奏者もまだいたらしい。議論の対象となったということはメリットとデメリットがそれぞれあったということだ。 


出典:Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop"

顎当てを使い始めたのは19世紀に活躍したシュポアである。シュポア本人が著書で推奨した顎当ては黒檀で出来ており、テールピースの上に顎をのせるセンタータイプのもので、博物館に一つぐらいあっても良さそうだが現存しているものがない。ある程度数が流通していればオークションなどで目にする筈だがそれもないので、シュポアが推奨したセンタータイプのものは当時たいして普及しなかったのではないかと言われている。確かに今まで何もつけていなかったところへ黒檀の塊がついたので、当時の人達からすれば違和感でしかなかったかもしれない。 

 

我々が今でも出くわすことがあるのは19世紀から20世紀初頭にかけて作られた小指のような形状でテールピースの左側に装着するものだ。これをシュポアの顎当てと呼んでいることが多くあるが、おそらく誰かが誤って名付けたものである。研究者はシュポアとバイヨの構えの違いを指摘する。シュポアはバイオリンを30度くらいで構え、テールピースに顎の一部を載せるように構えた。バイヨは45度に傾けて構えていて、後者の構えの方が当時メジャーで顎当てを必要とするものであったか、センターで押さえていた人達が後年まで顎当てを使用しなかったことが19世紀に普及した顎当ての形に関係している。初期に作られたオリジナルを装着して構えてみるとはじめは付けていないに等しく、体に当てた感覚としては「バイオリンのエッジが若干隆起しているかな」ぐらいだが、次第に慣れてくると十分用を為すことがわかる。音や響きは断然、小さくて左につけるタイプのほうが良い。19世紀の奏法とされるポルタメントなどが顎当ての普及を促進したと言われているが、それもなくなった今、必要最低限の大きさに戻すのもよいのではないだろうか。

 

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