I was at last in the presence of the Great Master and, mercifully for me, he was alone. What hands! What fingers! And what an enormous viola! I could not describe my first impressions of Lionel Tertis-I was in far too excited a state to notice anything except his hands and is instrument, though I remember his smile was irresistible. My little Testori (sic) was taken out of its case and closely examined. Much too small, was the verdict. We must try and find a larger one when we can. Then my treasured Tourte bow was the next thing to come under scrutiny. Yes, that was good-well balanced. White, John. 2006. The First Great Virtuoso of the Viola. Woodbridge: The Boydell Press p.14
The condition was extraordinarily bad, with the exception of two or three viola players. Most of them were looked upon as Ugly Ducklings of the orchestra. They were absolutely despised by the other string players. Anybody could get into the viola section, simply because they were down-and-out violinists, they could get nobody else to do it. They produced a perfectly appalling sound-which made your hair stand on end, there was no vibrato, as cold as ice, and very bad, and they played on instruments that had been cut down and had no semblance of C-string sonority. Words by Tertis (White, 2006, p.5)
タ―ティスに教えを受けたヴィオリストで作曲家のエリック・コーツ(Eric Coates 1886~1957)はタ―ティスに初めて会った時の詳細を書き遺している。1906年、タ―ティスはローヤルアカデミーの教壇に立ちヴィオラの大型化を着々と進めていた。ヴィオラをバイオリンやチェロと同じようにソロでも演奏できる独立した楽器として世界に認めさせることが彼の目標で、そのために行ったことが幾つかある。クライスラーをみて学んだビブラートやヴィオラのレパートリーを増やすことの他、大きい楽器を使用して後進にも大きい楽器を使うよう指導した。当時のヴィオラの音を“ゾッとする音”とタ―ティスは表現したが、ガットを張った小さなヴィオラでは他の楽器に太刀打ちできなかったのだろう。エリック・コーツが巨大なヴィオラと表現し、タ―ティスがこの時使用していた楽器はモンタニヤーナで43.5㎝あった。更にタ―ティスは後に誰も弾けないような巨大なガスパロ・ダ・サロを手にしている。タ―ティスが大きな楽器を担いでビブラートをかけ、今まで人々が聴いたことのないような音でヴィオラを鳴らすとターティスの演奏は人々の注目を集めるようになる。エリック・コーツはその後1919年頃までヴィオラ奏者を続けたが、以降作曲を生業とするようになる。作曲に注力する為であったのか、職業病であった両手の痺れや痛みが悪化して弾けなくなったのかは定かではないが、師の教えに従い大きいヴィオラを弾き続けたこともあったのかもしれない。
タ―ティスが学生だった19世紀末、ヴィオラは専攻の対象となっておらず、ローヤルアカデミーではピアニストやドラマーが片手間で教えていた為、タ―ティスは独学でヴィオラをはじめた。当時ヴィオラの学生は一人もおらず、年配の男性が一人オーケストラのリハーサルの為にヴィオラを弾いていたという。イギリスに限ったことではない。コンセルヴァトワールでは1894年になってようやくヴィオラを専攻することが出来るようになった。
ヴィオラは当時フロンティアであって20世紀初頭から第二次世界大戦頃まで多くの曲が作られている。楽器においてもリッターのヴィオラ・アルタの他、アルフレート・シュテルツナー(Dr. Alfred Stelzner 1852~1906)が1891年に41㎝のヴィオレッタ(Violetta)を作り、ユージン・シュプレンガー(Eugen Sprenger 1882~1953)が40㎝であるもののリブの高さを上げて、箱を幅広にして容量を1.3倍にしたシュプレンガー・モデルを作り、これをヒンデミットが好んで演奏したという。他にも面白い形をした多くの楽器がこの時代に作られていて、「色々やってみよう」という空気感があって面白い。もしちょうどよい楽器が見つからずこれから誰かに製作を依頼するのであれば、古いヴィオラのパターンに加えてこの時代の楽器のパターンも色々考えられていて面白いので、是非候補に入れて頂きたい。
ターティスは楽器について多くの記録を残しているものの、弓についてはほぼ何も語ってはいないが(自分が今まで調べた範囲において)、楽器を構えている写真から判断すると交友関係にあったイザイなどの音楽家が当時使っていたサルトリーやヴィニェロンを使っていたのではないだろうか。(続く)