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19世紀~20世紀初頭の風景 Part2-オーセンティシティ サルトリーの工房より


ジャック・ティボー 出典:Eugene Sartory,P19

色々なものを模作した時期でもある。サルトリーの遺した手紙やコンタクトリストの中にはイザイやジャック・ティボーの他、パリで活躍した音楽家の名前が多くあって、コンセルヴァトワールでバイオリンを教えたエドゥアール・ナダ(Edouard Nadaud 1862-1928)の名前もある。彼の教え子にはマリウス・カサドシュ(Marius Casadesus 1892-1981)がいて兄のアンリ・カサドシュと共に~風の曲を作って後に贋作騒ぎが起きるが、クライスラーに見られるように~風の曲を作ることが当時流行っていたこともある。アンリ・カサドシュと共に活動していたコンバス弾きのエドゥアール・ナニー(Edouard Nanny)も過去の作品を蘇らせようと活動する中で18世紀風の曲を書いている。贋作というよりリスペクトを込めたオマージュであったのだと思う。 

 

出典:Eugene Sartory P29

サルトリーは古い弓のコレクションを所有しており、当時の広告を見ると自身での製作の他にオールドボウの売買や精密なコピーも手掛けている。イザイとの手紙のやり取りでは、イザイの所有していたペカットやトゥルトの弓を修理したり鼈甲で替えフロッグを作ったりしていたことが記されている。トゥルトがモダンボウを作り始めてから100年が経ち、そろそろ本格的な修理が必要となる時期である。サルトリーの弓としてトゥルトをオマージュした弓も遺っているが、他にも色々な弓をコピーしたことだろう。サルトリーが当時の材料を使い、本気で弓のコピーや替えフロッグを作ったのであれば今の我々が真贋を見分けられる筈がない。ラッピングの下には自身の焼き印を押したというが果たしてどうであったか。現存するオリジナルの幾ばくかはサルトリーや当時パリで活躍した弓職人がコピーしたものなのだろう。 サルトリーは楽器を弾かなかったというが、様々な音楽家からの助言に加え、修復やコピー製作を通して弓のあるべき姿を学んでいったのだと思う。

 

 

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