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モーリッツ・ハウプトマンの視点 Part2-19世紀から21世紀へ


ライプツィヒ 1843年10月3日


......昨日、聖トーマス教会(Thomaskirche)で私のG minorミサ曲が、ある依頼と共に演奏されました。オーケストラのメンバーからの要望で、省略されることなく全て演奏されたのです。仕上がりは上々で好評でした。聖歌隊の上達には目を見張るものがあると皆口々に言うのですが、私は気のせいじゃないのかとも思うし、聖歌隊の持つ優しさがそのように見せているだけかもしれません。先週の金曜日にここに立ち寄ったメンデルスゾーンも教会にいました。明くる日の土曜日に彼はベルリンに行き、10月2日、日曜日最初のコンサートを指揮する時間に戻ってきました。昨日は私にとってとても忙しい1日でありました。朝8時に教会でリハーサルがあり、続いてゲヴァントハウスでリハーサルをしたあとに、メンデルスゾーンと連れ立ってバッハのモニュメントを見に行きました。ベンデマン(Eduard Bendemannか)の下絵を基に彫刻家のナウアー(Knauer)が完成させました。カトリックの教会で同じ類いのものを見たことがありますね。バッハの胸像は、巨大な頭とあのトレードマークのかつらが何とか収まる上部ランタン用の壁のくぼみに立っています。他の三面は教会の寓意を込めたレリーフで飾られているのです。胸像の構想、そして仕上がり、共に上出来だと思います。この記念碑は窓に面していて、窓からは遊歩道を眺めることが出来ます。メンデルスゾーンがコンサートを催して費用を捻出しました。費用は12Ellenぐらいでまあ大したことはないのだけれど、その様なものは大抵お金がかかるものです。メンデルスゾーン、ダヴィッド、スゼットと私はその後、Hotel de Baviereで食事をしました。時間が時間でしたので混んでいましたね。その後スゼットに胸像を見せたくて彫刻家をもう一度訪ねました。夜は定期演奏会にいました。ホールの新しい装飾や調度品は6000 thalersかかりました。それらが交響曲を立派に見せたことと思います。ベートーヴェンのA major をやりました。シュロス(Schloss)は素晴らしい声の持ち主で、彼女は見事に歌いました。クララ・シューマンが演奏しました......          

                                敬具

                                   M.H.

The Letters of a Leipzig Cantor: Being the letters of Moritz Hauptmann to Franz Hauser, Ludwig Spohr, and other musicians(鎌田訳)



失われつつある某かを目の当たりにした時に、人は行動を起こすのだと思う。19世紀には色々なものを遺そうと音楽家達が尽力した。この手紙が書かれた前年、1842年にルイージ・ケルビーニが世を去った。1820年に自宅に訪ねてきたシュポアを温かく迎え入れたことを以前に述べたが、ケルビーニはその後1822年よりパリ音楽院の院長に就任して81歳で死ぬまで、音楽院が政治に翻弄されぬよう様々なことをしてその職務を全うした。フレンチスクールのバイオリニストであるアブネックやバイヨも、音楽院に関わって後進の指導にあたった。ドイツではこの手紙が書かれた1843年に、メンデルスゾーンやハウプトマンが主体となってライプツィヒに国内初となる音楽院を作り、人を育てた。後年、短い期間ではあるが滝廉太郎もここで学んでいる。


19世紀半ばには閉ざされた空間の中で音楽を聴くということが一般的になり、作品そのものの鑑賞、楽聖、巨匠といった考えが芽生えたのもこの頃のことだという。音楽学者のシュピッタの伝記や評論などの資料が引き合いに出されることもあるが、バッハやベートーヴェンを神格化したのは誰かと言えば、それは紛れもなくハウプトマンやメンデルスゾーンといった19世紀を生きた音楽家達である。ハウプトマンは後にバッハ協会(Bach-Gesellschaft)を作り、バッハ全集を発刊させた。音楽の大衆化や度重なる紛争、戦争など全てを乗り越え息をつないできた、彼らが遺してくれたものを我々は目の当たりにしている。


20世紀には職人達が伝統を遺す為に奔走した。19世紀に弓作りは音楽の大衆化に伴い隆盛を極めたが、20世紀に入り破壊の限りを尽くした世界大戦を抜け、1960年代には既に風前の灯火であって、フランス国内には第一人者と呼べる職人が数える程しかいなかった。


続く


参考文献:

  • 聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化:渡辺 裕

  • ヴァイオリンの奥義 ジュールブーシュリ回想録1877⇒1962:マルク・ソリアノ


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