年末から年始にかけて、パジョー(Etienne Pajeot 1791~1849)の弓に新たにフロッグとボタンを作って取り付ける作業をしていた。アンダースライドと呼ばれる金具の先端にメタル・サム・プレートと呼ばれる金属板をロウ付けするなど、手が込んでいて実に面倒な作りをしている。親指が当たる箇所を摩耗から守る為である。ボタンのスティックに接する箇所にもトゥルトのようにフタをロウ付けし、ボタンの割れも防止している。年末にかけて、昔の弓のグリップについてしばらく考えていた折のことである。メタル・サム・プレートが生まれた背景には弓の持ち方が変わっていった音楽事情がある。
同じ弓でも持つ場所を変えれば、バランスが大きく変わり操作性、演奏性も変わる。故に弓の形を考える上で、その弓を生み出した時代の奏者が弓をどの場所でどのように持っていたのかを追っていくとはじめて見えてくるものがある。18世紀においてはフレンチグリップとイタリアングリップがあり、18世紀、フランスのミシェル・コレットは双方のグリップを細かく図に記している。
フレンチグリップは親指を毛束に直接当てて演奏する古い持ち方で、イタリアングリップは弓の3/4あたりを保持するもので18世紀を象徴するグリップである。19世紀前半にはまだ多くの奏者がこの持ち方で演奏していたようで、シュポアの日記の前半にもこうした古い演奏スタイルを持つ演奏家が何人か登場する。シュポアがライプツィヒでその演奏を聴いたバルトロメオ・カンパニョーリもその一人である。オールドスタイルであったが純粋、完璧な演奏でこの時、クロイツェルの曲を弾いたという。弓の3/4付近を持つイタリアングリップは19世紀後半になっても存在していたことが当時の写真などからわかっている。
グリップにはもう一つ、レオポルト・モーツァルトが1756年に書いたViolinschuleで推奨し、19世紀のバイヨやシュポアが採用したモダングリップがある。フロッグのサム・プロジェクションに親指を押し当てて弓を持つ、誰しもが習ったあの持ち方である。
弓の進化の中で明らかに過剰反応とも言うべきパジョーのサム・プロジェクションに金属板を被せた弓が作られたのは、シュポアやバイヨが弓の持ち方をモダングリップに統一しようとしていた時期のことである。自身の作った弓がこの持ち方によって傷んでいくのを何とかしたいと考えてのことだろう。この発明はモダングリップでは親指が痛くなるので当時より音楽家に不評で、遺っていく発明とはならなかったが、結果としてパジョーは多くの弓を当時の状態を保ちつつ現代に伝えることが出来た。一方のグリップに関しては、革を巻くようになってからというもの、いつからなぜそこを持つようになったのかが完全に抜け落ちてしまった。当時の演奏に想いを馳せながら色々な持ち方を試してみても面白いのではないだろうか。
参考文献 ・The Art of theViolin:Pierre Baillot
・L'Archet:B.Millant/J.F.Raffin/B.Gaudfroy ・Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop