19世紀に起きた弓の進化を見ていく中で、研究者はソナタの変化を指摘する。18世紀に作られたモーツァルトのバイオリンソナタは、姉(Nannerl Mozart)のバイオリンをバックにモーツァルト本人がピアノを弾きまくるといったものであるのに対し、ベートーベンのクロイツェルソナタはピアノと5分に渡り合う構成になっており、フランソワ・トゥルトによって作られたモダンボウ(パリジャン・ボウ)を意識していたと言われている。また1812年のベートーベン最後のソナタはヴィオッティの教え子であるロードの為に書いたもので、パリジャン・ボウを使うロードを意識したということが本人の手紙に残っている。
当時ドイツ語圏で主流であった弓はヴィエニーズ・ボウ(ウィーンの弓)と呼ばれるクラマータイプの弓だ。パリではヴィルヘルム・クラマーが1769年に行ったパリ公演にはじまり、1789年のフランス革命頃までこの弓が使われていたが、1800年頃を境にフランソワ・トゥルトの新しい弓がほぼ主流となる。これはジョバンニ・バッティスタ・ヴィオッティとその一派の影響である。一方ドイツ語圏のザクセン宮廷楽団では1851年までパリジャン・ボウを使うことがなかったとの記述がある。このように国や演奏スタイルなど場所によってこの新しい弓が受け入れられる時期は異なっていたことがわかっている。
ベートーベンを魅了し、ある時は悩ませたトゥルトのパリジャン・ボウの特徴は、従来のクラマー、ヴィエニーズ・ボウでは表現の出来なかった弓先でのスタッカートが出来るようになるなどエッジの効いた演奏が可能になったことだ。トゥルトはフルールとヘアスプレッダーによって毛束を完全に固定することで弦に対し、弓毛が面ではなく点で当たるように工夫した。この毛束をどう固定するかというのは、弓が生まれて以来音楽家と職人にとって長年の課題であったに違いない。フランスのバロックボウのフロッグ先端にはフックが付いているものが多いが、当時はこの箇所をガットで縛って演奏中に毛束がヘアーチャネルから外れないようにしていた。フランスのバロックボウのフロッグにこの形を多く見ることができるのは、ダンスミュージックなどリズムを刻むような演奏に使われたことが関係していると言われている。弓を使った奏法の多くはバロック期には既に存在しており、ムシャンやトゥルトが作っていたクラマータイプの弓はほぼモダンボウと変わらない演奏ができたが、時代はより速いレスポンスや大きくフォーカスした音を求めモダンボウが主流となっていく。 歴史に「もしも」はないが、モーツァルトがあと10年長く生きていたら本当の意味でバイオリンがメインのソナタを我々は聴くことができたのかもしれない。
参考文献 L’Archet, L’Archet Revolutionnaire