メンテナンスや弓の構造について俄かに書き始めたのは、普段から弓の状態に気を配っておけばここまで大掛かりな修理をする必要はなかっただろうと思うことが多々あって、これを何とか出来ないだろうかと考えているからだ。昨今のペルナンブーコを取り巻く環境のこともある。またバブルの時に日本を目指した古い良い弓は全体としてみれば日本から出ていく一方であって、入ってくることは少なくなるだろう。今あるものは皆で守っていくべきだと思う。
ネジを使った弓が歴史上に初めて登場するのは17世紀末のことで、年号を刻んだ弓が遺っているがネジが一般的になるのは18世紀半ばのことで、タルティーニなどは(おそらくバンディーニも)音や演奏性を考慮してネジを必要としないクリップインの弓を生涯使い続けた。弓のネジを作る技術は草創期から19世紀中頃まであまり変わらなかったのではないかと思う。弓の多くの修理がネジに関するもので、不具合のある箇所を特定してきちんと直しきるには少し経験が必要だ。軽微な不具合でよく見かけるのが、フロッグとスティックの間に松脂の粉が入り込んでボタンと呼ばれるツマミを回す際にかたくなってしまい、毛を緩めようとしてもフロッグが引っ掛かって元の位置に戻らないことである。その場合八角下三面やフロッグのアンダースライドと呼ばれる金具の付着物を除去した上で、シアバターなど植物由来の潤滑剤を塗っておくとよい。八角の下三面とスティックエンドのニップルと呼ばれる部分、そしてオネジ全体に塗ってスティックに差し込み回してなじませる。製作時には焼き印を押す際に煤を集める為に常備しているロウを溶かしてニップルなどに塗っておく。工業用のグリスは木によろしくないのでネジには使わないほうがいい。
ネジが少しでもかたいと条件反射のように慣れた手つきでフロッグのメネジを反時計回りに半周回してスティックとの合わせを弛める人がいるが、これは根本的な解決策ではないのであまりよろしくない。フロッグが左右にガタつく状態で放置しておくと力の集中するフロッグのアンダースライドの際からヒビが入る原因となるからだ。音だけを考えるのであればおそらくフロッグをスティックに強く固定をしないほうが良いが、それで貴重なフロッグをダメにしてしまっては元も子もない。弓のネジは様々な原因でかたくなるが、スティックのネジ穴が真っすぐあいていること、スティックのネジ穴がジャストサイズであいていること、そしてフロッグのメネジが真っすぐ立っていることが軽い回転を実現する上で必要な事だ。
メネジはオネジの消耗を防ぐ為に真鍮や銅など軟らかい素材で出来ており、弓では消耗品と言えるので交換が必要となることがある。弓では全てのものがなるべく真っすぐ、直角、平行であることが望ましい。何度もメネジが擦り切れてしまうといったトラブルは、スティックのネジ穴が曲がっているか、ネジ穴が長年の使用で摩耗して大きく拡がり過ぎオネジがメネジに対し斜めに入っていくことによりメネジのネジ山が擦り切れてしまうことが原因となることが多い。メネジを交換する際に傾いたまま立てることもメネジが擦り切れる一因となる。曲がったりズレたりしている場合は穴をいったん埋めてセンターに開けなおす修理を行う。
昔の古い弓ではメネジのシャフトに刻んであるネジ山のピッチが現在のものに比べて粗いので(M4×0.8など)、メネジを回転させてフロッグとスティックの丁度よい合わせを実現するのが難しい。M3×0.5といった細かい現代のピッチは昔のネジ切りでは実現できなかったのだろう。トゥルトのフロッグはアンダースライドが付いておらず、全てのフロッグでメネジを立てる中央に向かってトラック底面が凹型にくぼんでいる。おそらく使用していた工具の関係でメネジのシャフトの際ギリギリまでネジ切りをすることが当時は出来なかったことが理由ではないかと思う。メネジのヘッド部分が黒檀に干渉しないようクリアランスを確保するために、メネジの周りの黒檀を彫ったのだと思う。ネジ山が大きく、一回しで高さが大きく変わってしまうので昔のメーカー達はスティックとフロッグの丁度よい合わせを実現するためにスティックの木を削って微調整していた。製作の過程ではそれで良いが我々はそのようなことは出来ないので、ガタのない合わせを優先する場合にはシャフトのネジ山の細かい、新しいメネジへの交換を提案している。
古い弓の粗いピッチでは一山が大きく谷が深いので、メネジがフロッグに対し指でくるくると回せてしまう程ゆるく立っていてもメネジが抜けてこないメリットがある。ただ丁度よい合わせを確保するのが難しい。現在手に入る最も細かいM3×0.5をシャフトに刻んだメネジは高さの調整がし易く、フロッグの丁度良い合わせを実現するのが容易だ。一方で、指で回せない程固くフロッグに立っていないと弓を張ったり弛めたりを繰り返すうちにメネジは抜けてきてしまうことがある。ちゃんとメネジはフロッグに立っているものの、しばらく弓を使っているとフロッグとスティックの間に隙間が出来て徐々に隙間が拡がってしまうという相談が以前にあった。最初は原因がよくわからなかったが、しばらく観察しているとどうやらシャフトのネジ山が細かいメネジでは、張ったり弛めたりを繰り返すうちにメネジが前後にロッキングしてネジが階段を上るように少しずつ抜けてしまうことがあることに気付いた。以来メネジは指で回すことができないことを基準に立てるようにしている。
またバザンやタブスといった古い弓ではメネジのシャフトとオネジを通すための穴のセンターがずれていることがある。偶然そのようにずれてしまったのか、スティックにあけたネジ穴が左右に曲がってしまい、その場をしのぐためにそれに合わせるようにメネジにあける穴をずらしたのかは定かではない。とにかくスティックのネジ穴が曲がっていて、メネジの穴がセンターからずれていては正しいフロッグとスティックの合わせは出来ない。もし合わせの精度やネジがかたくなってしまう原因を何とかしたいのであれば、スティックのネジ穴を埋めてセンターにあけなおしメネジを交換するしかないのであって、オリジナルにこだわるあまりスティックやフロッグにダメージがいくことはなるべく避けてほしい。