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19世紀の弓-ヴィエニーズボウ:ウィーンにて Part3



この突起とレールによるフロッグの合わせ方は、Karniesführungと当時の職人は呼んでおりコーニス(cornice)の設置、合わせという意味がある。内装建築・装飾に使われるコーニスやモールディングを作る際にはモールディング鉋やビーディング鉋を使うが、スティックのエンドに溝を掘る為に同じ道具を使用したのでそのように呼ぶようになったのではないか。

ビーディング用刃物

また弓の作られた地方によってこの形状は異なる。センターの突起が低く丸みを帯びているものと、高く角のあるものがあって、自分が再現した限りではおそらく製作の手順が違うのだと思う。低く丸みを帯びているものは完全にスティックを丸く削ってから溝をビーディングの刃物で削って後からフロッグを合わせたもので、高く角のあるものはフロッグの合わせを早い段階で行い、後から寸法を整えつつ丸く削ったと思われる。

GERMANISCHES NATIONALMUSEUM NURNBERGより

また突起やレールの幅が地方によって異なるのは、演奏されていた音楽の違いが多少なりとも影響しているのかもしれない。突起の幅が広い南部の音楽はより技巧的(virtuosic)であった。モダンボウにおいては八角形のセンターの面を幅広くとってより四角形に近づけると安定感が増すと言われているので、或いはそのようなことを考えていたのかもしれない。この弓について研究した音楽学のKai Köppはコーニス・フィッティングの弓でがっしりとしたフロッグのものをビーダ―マイヤーボウと呼び、より繊細な作りをしているヴィエニーズボウと漠然と区別しているがこの定義は曖昧なものである。


どのようなものが遺っていくのか興味がある。誰かが情報を伝え続けるか、情報を掘り起こして再考するなどしないと遺っていかないのであって、ヴィエニーズボウや古いドイツの弓に関しては近年ドイツ人の研究者達が尽力して情報を発信している。おかげで今まで博物館などにおいても一括りにヴィエニーズボウと呼ばれよく分からなかったドイツ語圏の古い弓の素性や使われていた当時の様子がわかりつつある。


19世紀に入ってからもヴィエニーズボウはビオッティ―一派の演奏をよしとしないウィーンなどドイツ語圏の都市で使われ続け、19世紀半ばまでその使用が確認されている。これには政治的な対立も影響していると言われている。ナポレオン率いるフランスへの反発もあり、その他の国々では全体としてモダンボウへの切り替えがすぐにはなされなかった。イタリアにおいてはバロック仕様の弓や楽器の使用が続いた。かつてシュポアはバルトロメオ・カンパニョーリがクロイツェルを演奏するのを見て「古いスタイルだが完璧な演奏」だったと評したことがあり、それにはそのような背景がある。


1814年のウィーンで行われたベートーベンのコンサートをもう一度思い浮かべてみると、シュポアなど一部の演奏家はトゥルトのモダンボウを使用したが、一般の奏者はヴィエニーズボウを手にしていた。サリエリが活躍した地であることから、イタリアンスタイルのバロックボウを手にしていた者も中には数名いたのではないか。モーツァルトやハイドン、初期~中期のベートーベンを弾いた当時の奏者が手にしていたのは、ヴィエニーズボウやイタリアンスタイルの弓であって、こうした弓は古き良き時代の象徴でもあり、古典の音の一部を成していた。音楽全体に起きたことからみれば弓はほんの小さなことに過ぎないが、当時の音や雰囲気を想像する一助になるのではないか。


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