ベートーベンがウィーンのレドゥーテンザール(Redouten Saal)でのコンサートで交響曲第7番の演奏を指揮した際に、管楽器を吹ける者、弦楽器を弾ける者は誰もが招待されてこれに参加した。ナポレオン率いるフランス軍との交戦で音楽家が減ってしまったこともあるのだという。この時シュポアは自身のオーケストラと共に応援に駆けつけ、特に第7番に深い感銘を受けたと記している。この時初めてベートーベンの指揮を見たシュポアによると、指揮する姿が当時としてはとにかく凄かったらしい。
この時コンサートでも使われたであろうヴィエニーズボウ(ウィーンの弓)について書くつもりであったが、シュポアによるベートーベンが指揮するコンサートの臨場感ある描写が面白いのでその光景から始めたい。
”ベートーベンのフィデリオは1804年(或いは1805年)には困難な状況によって(フランスによるウィーン占拠期)コンサートは成功を収めることがなかったが、ケルントナートーア劇場(Karnthnerthor-Theatre)の支配人によって再演が決まった。ベートーベンは友人たちの説得によって序曲、看守の歌と壮大なアリア(ホルンの助奏つき)を、フィデリオに変更を加える為に新たに書いた。この新しい形によりこのオペラは成功し、満員の再演が続いた。作曲家は初演の夜には何度も前に出てくるよう聴衆に促され、今や再び世間の注目の的になった。
彼の友人たちはこの好機を逃さず、大いなるレドゥーテンザールにてベートーベンの最新の作曲を披露するコンサートを企画した。弦楽器を弾ける、管楽器を吹ける、そして歌える全ての者たちが参加するよう招待され、ウィーンの著名な音楽家は一人残らずこれに参加した。勿論、私と私のオーケストラも参加して、そして私は初めてベートーベンが指揮する姿を見た。噂には聞いていたが、彼の指揮する姿に大変驚いた。
ベートーベンはオーケストラに表現の合図を送るのに、普通ではない自身の身体中の動きを使って行った。スフォルツァンドがくる度に胸の前でクロスしておいた腕を熱情がほとばしるのと同時にバッと開いた。ピアノでは腰をかがめて、更にソフトにしたい場合にはより低くかがんだ。そしてクレッシェンドがくると、徐々に身体を起こしていき、フォルテの開始で真っ直ぐに飛び上がる。そしてフォルテを更に強くしたい場合には無意識のうちに自ら叫びながらオーケストラに参加した。
この並々ならぬ指揮についてサイフリッド(Seyfried)に自分の驚きを伝えたところ、彼はベートーベンがアンデアウィーン劇場 (an der Wien) で最後に行ったコンサートで起きた悲喜劇的な出来事について話し始めた。
この時ベートーベンは新作のピアノフォルテ・コンチェルトを弾いていたが、はじめのトゥッティで自分がソロプレイヤーであることを忘れてしまい、はね上がるといつものように指揮を始めてしまった。初めのスフォルツァンドで両腕を左右にバッと開き過ぎてピアノの上にあった二つの明かりを地面にはたき落としてしまった。聴衆はこれを笑い、この騒ぎに怒り心頭のベートーベンはオーケストラの演奏を止めて、もう一度あらたに演奏を始めた。サイフリッドは同じパッセージで同様のことが起こるのではないかと考え、コーラスの二人の少年に明かりを手に持ってベートーベンの左右に立つよう言い含めた。一人の少年は無邪気にもベートーベンに近づいて一緒にピアノ譜を読み始めてしまった。そして例の致命的なスフォルツァンドがきた時にベートーベンの右手の一撃を口にくらって、哀れなその少年は恐怖で明かりを地面に落としてしまった。もう一人の少年は、より用心深く、ベートーベンの一挙手一投足を不安気な眼で観察し、口への一撃をすんでのところで身をかがめてよけた。今まで聴衆が笑いをこらえることができなかったとするならば、更にそれは困難なものとなり、ついにはどんちゃん騒ぎの咆哮をあげた。ベートーベンは怒りの頂点をこえてしまい、ソロの初めのコードをガツンと弾いて半ダースの線を切ってしまった。真の音楽好きが落ち着きと集中を取り戻そうとしたが無駄であった。よってコンチェルトの最初のアレグロは聴衆の騒ぎで終わってしまった。この致命的な夕べ以来、ベートーベンはコンサートをやめてしまった。
しかし彼の友人たちによって企画された今回のコンサートは最も輝かしい成功を収めた。ベートーベンの新たな曲、特に第7番は非常に喜ばれ;素晴らしい第2のテーマはアンコールをされ;そして私にも深く余韻のある印象を与えた。ベートーベンによる指揮が度々不確実なものであって、可笑しなところがあったとしても、出来栄えは最高の傑作であった。
この耳の不自由なピアノのマエストロが自身の音楽が聴こえないことは明らかであった。"
P185~187
Autobiography
Trans, from the German Copyright ED
by Louis Spohr
訳 鎌田
続く