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ヴィオラと弓 Part-3


Lionel Tertis

ヴィオリストのタ―ティス(Lionel Tertis 1876~1975)は、「もしもう一度やり直せるなら今度はヴィオラを膝の上に置いてチェロのように弾くさ」と周囲に常々話していたという。C線を良い音で響かせることに執着し、小さいヴィオラを弾く人には見向きもしなかったこの人なら本当にやりかねなかっただろうが、タ―ティスの求めた理想は歴史の彼方にも存在していたかもしれない。


王の24のバイオリン(Les 24 Violons du Roy)ではメルセンヌの記述によると、中音域であるhaute-contre、taille、quinteのチューニングはユニゾンでc,g,d,aであり、dessus (バイオリン)6挺とBasse(チェロ)6挺に対しそれぞれが4挺ずつあって、明らかに中音域が分厚い。12挺のヴィオラとテノールは圧倒的な存在感であっただろうし、そのようなものをぜひ観てみたいものだと思う。後にバイオリンとヴィオラが2パートになり、18世紀半ばにはヴィオラは1パートになって小さいヴィオラが主流となる。19世紀になると昔作られた大型のヴィオラの多くは大手術の末にサイズ変更が行われ、流通している物はほぼ全て小型化してしまった。古い楽器の数も少なく、曲も難易度を増していく中でやむなく起きたことだが、ヴィオラ・アルタを弾いたリッター(Hermann Ritter 1849~1926)やタ―ティスのように、再び大きいヴィオラの可能性を模索する人が現れる。

バイオリン・ヴィオラ兼用の弓(出典:L'Archet Revolutionnaire 1700-1800 Tome2 P20)

弓では19世紀前半に作られたトゥルトやペカットのヴィオラ弓のフロッグはバイオリンの弓と同じようにヒールが四角い弓が主流であったが、19世紀後半の楽器の大型化に伴いラウンドヒールのヴィオラ弓が作られるようになる。流行りや楽器のセットアップが変わっていったことも関係しているかもしれないが、フレンチのバス弓やチェロ弓同様に、ボーイングにおいてシーバウツに角が当たらないようにクリアランスを確保する為だったのではないか。(続く)

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