職業病というべきか、最も多く見る夢は超人となって飴細工の如く思うがままに木を曲げたり、物凄いスピードで精度よく木を削ったりという弓の加工に関することで、大抵そのような夢を見た際には気分良く目が覚める。その昔、ヴィニェロンなどの弓職人は1日一本の弓を作ったというのできっと不可能ではないかもしれないが、今では手の速い人でも一本作るのに4日から一週間程かかるものなので、当時の職人達は驚異的なスピードで弓を作っていたことがわかる。2日あれば弓を形にすることはできると思う。しかし(タイムアタックをやるつもりもないが)1日一本は今の自分にはできないだろう。
レオナール・トゥルトとボワラン、そして20世紀初頭にドイツで作られた弓を眺めている。それぞれ作られた時と場所が異なり形もそれぞれ違う。きっとこれらの弓も1日から数日で作ったものに違いない。ジャーマンボウは分業で一日12本とかそのぐらいの本数をやっていた筈だがよくできていると思う。
物は目の前にあって、製作風景や作っていた人物像が描けても、弓を当時使用していた人物やシチュエーションがまだはっきりと浮かんでこない。当然といえば当然のことで、リュシアン・カペがヴィニェロンを使ったとか、イザイがサルトリーを使っただとかその程度のことしか自分は知らないのである。18世紀末や19世紀に作られた弓や楽器に関しては多くの研究が為されておりわかっていることも多くあるが、当時の世界観や音楽事情がよくわかっていないのでどうにもしっくりこない。19世紀当時の資料を調べているのはそのような背景がある。
シュポアの自伝は多くの事を我々に教えてくれるがパリへの演奏旅行後、程なくしてシュポアは書くことを止めてしまった。自伝の後半は関係者が後に補足したもので色々な事実はわかるものの、音楽家の生の声ではないので読み物としてはつまらない。19世紀中頃の出来事についてはモーリッツ・ハウプトマン(Moritz Hauptmann1792~1868)がライプツィヒのカントール(Cantor 教会の音楽監督)をしていた頃の手紙をまとめたものがあり、これが現在我々の見ているクラシック音楽事情がいかにこのようになったのかの多くを教えてくれる。シュポアの自伝が欧州を動き周って記した“動”であるならば、ハウプトマンの手紙はライプツィヒにおける音楽家、教師として定点から綴った“静”の視点である。読み物としてはシュポアの自伝のほうが断然面白いが、19世紀の中頃を生きた音楽家がどのようなことを考えていたのか、そして当時取り組んでいた曲や課題などを知ることが出来る重要な資料だと思う。ハウプトマンからヨアヒム、そして現在へと続いていくわけで、そのあたりについて他の資料も含め今後しばらく探っていきたいと思う。
司馬遼太郎はかつて街を歩いただけで昔の街並みをありありと目の前に思い浮かべることが出来たという。弓を見てもう少し物事が見通せるようになりたいものだ。