反りのコンセプトは17世紀に作られた弓には既にあって、弓毛にテンションをかける前には緩やかな反りがついているものがある。18世紀に作られた弓では、アシュモリアンミュージアムにあるソナタボウには顕著な反りが見え、タルティーニが後期に使用していたペルナンブーコの弓や、若かりし頃に使用していたスネークウッドのクリップインの弓にも反りがついている。毛を張りテンションをかけて真っ直ぐになる、或いは弓なりに反ったとしてもある程度反りが入っていた方が弾いていて断然面白い。どのぐらいの反りを当時の人が入れていたのかは今となっては分からないが、博物館にある真っ直ぐな弓、或いは弓なりに大きく反った弓そのものをもって当時の弓はこうであったとすべきではないし、それをそのまま弾いて「昔の弓は弾きにくかった」と結論付けるのは少し違うのではないかと思う。棹にテンションをかけ続ければ徐々に形状は変化していくからだ。
反りも弓毛も張力に関するもので、武器の弓を想像するとわかりやすいかもしれない。武器の弓ではより遠くへ矢を飛ばすために初期の弧を描いたようなものから、より張力を得られる逆に反ったものへと形が進化している。弓毛は弓を引く弓弦のようなものだ。反りが抜けて弓弦にかかる力が失われれば矢は遠くへとばないのであって、弓は力を十分に発揮できない。モダンボウで弓がへたる場合、大抵反りが抜けているか毛の量が足りないかのどちらかである。反りがしっかりと入っているのに棹が弦に当たってしまうのであれば、毛の量が足りないのだと思う。
楽器は時間の経過と共に良くなることがあるが、弓は作りたてがベストであって、エージングの効果は特にないというのが弓に携わる人達のコンセンサスである。古い弓が良いというのは材料の違いというよりは、構造や僅かな設計の違いにあるのではないかと色々な弓を見る中で最近考えている。また数ある弓の中には音や演奏性に特に優れたものがあって、そのようなものが重宝されて遺っている、そのようなことではないだろうか。
蔵出しのミントでない限り、我々が手にするまでに何世代にも渡って職人達が状態を保つ為に手を加えている。自分は弓に焦点を当てて定点観測をしているようなものなので良くわかるが、新作の弓であっても1年も使っていれば反りは変化していく。ましてや5年、10年と使っていれば弓は購入当時と同じ性能を持っていないと考えて、いつか反りを調整するべきだと思う。