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19世紀の弓-弓の毛について



モンテヴェルディが活躍していた時代、フランスのマラン・メルセンヌ(Marin Mersenne 1588~1648)は17世紀にバイオリンの弓に取り付ける弓毛の本数を80~100本と記している。弓に明確なヘッドが無かった時代の事である。一方、19世紀のシュポアは1832年出版のViolinschuleで100~110本と書いており、メルセンヌの時代に比べやや増えているが、現在の150~200本に比べるとはるかに少ない。シュポアが使用していたトゥルトの弓にこの本数を張ってみると、毛束の向こう側が透けて見えるほど少なかった筈だ。

Marin Mersenne
マラン・メルセンヌ

毛の本数と演奏性の関係は、オープンフロッグの弓とフルールをつけて毛束を固定したモダンの弓では事情が異なる。自然と弓毛による弦の巻き込みが起き、面で弦を捉えるオープンフロッグの弓では少ない弓毛であってもある程度の音量を出すことができる。巻き込みの起きにくいモダンボウでは、毛の本数が一定数を下回るとツルツルと滑る感覚があり弓が正しく機能せず、これを改善させる為には毛の量を増やしていくしかない。特にスポーツタイプの強い弓でこの傾向は顕著である。


17世紀から19世紀初頭まで弓の毛の本数が左程変わっていないのには、大きな音を出す必要がなかった当時の音楽事情もある。19世紀はじめにシュポアが宮廷楽団にて演奏していた当時、宮廷では慣習として人々は音楽の演奏中にカードゲームを行い、団員は原則フォルテでの演奏を禁じられていた。さらに音をミュートさせる為に床にはカーペットを敷き詰め、楽団はバックミュージックに徹することを求められた。シュポアはこれに対し音楽家の尊厳を求め、幾度も抗議したことが日記に記されている。1830年以降、弓職人がどのタイミングで150~200本の毛をつけるようになったのか、いつか調べてみたいテーマだ。


参考文献

Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop

David D. Boyden, The History of Violin Playing from its Origins to 1761

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