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ドラゴネッティ イタリアの残映 Part-2



ベートーヴェンとの出会いは1799年、春のことである。故郷ヴェネツィアからロンドンへ戻る際に遠回りをして数週間ウィーンに滞在しており、チェロソナタNo.2,Op.5をベートーヴェンと演奏したのはこの時だといわれている。知人に仲介を頼んだ節があるので、ウィーンの音楽と音楽家に出会う旅であったに違いない。1808年から1814年にもドラゴネッティは旅をしていてイギリスにいなかった。うち2年をヴェネツィアで過ごし、4年の間ウィーンに滞在している。ドラゴネッティの演奏を目の当たりにしたベートーヴェンが楽器としてのコントラバスに初めて着目したとされ、後にロンドン、フィルハーモニック協会の依頼で完成した第九への伏線の一つと言われている。


Domenico Dragonetti

ベートーヴェンにウィーンで会った頃、30代半ばのドラゴネッティはどの様な弓を手にしていたのだろうか。ドラゴネッティが初期に使用した弓は大きくアウトカーブしており、晩年に使っていた弓は真っ直ぐに近いものであったという。年代は定かではないがおそらく晩年、彼が実際に使っていたとされる弓も遺っている。クリップ・インの弓だ。ネジ式の弓は全て彼が使っていた弓を参考に作られた弓と考えて良い。初期の弓の長さは50㎝程で弓毛の有効使用範囲は40㎝程であった。61.5㎝のロングパターンの弓も存在し、この弓では50.5㎝が有効使用範囲である。弓が長くなる時というのは弓の進化論から言えば歌う必要が生じた時だ。リズムを刻む場合には短い弓のほうが適している。ヴィルトゥオーゾとして活躍していたであろう30代半ばのドラゴネッティは、壮年期のイメージにあるような少し長めで弓なりに反ったパイクヘッドの弓を使っていたのではないか。

(続く)


パイクヘッドの弓



参考文献

Domenico Dragonetti in England (1794-1846) The Career of a Double Bass Virtuoso /Fiona M. Palmer, Clarendon Press Oxford

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