いつぞやの仮面ライダーにあったような光景はフィクションであって、普通、弦楽器職人はそこいらに転がっている木材を見て「あっ、これ楽器に使えそう」などとはまず思わない。例外はあるものの、メープルとスプルース以外の選択肢はないからである。普通、弓職人もそのようなことは考えない。アムレットやブラジルウッドといった例外はあるものの、ペルナンブーコと黒檀以外の選択肢はないからである。だがバロックボウや弓の歴史をかじった弓職人は節操がない。目に映るものは基本的に何でもいけると思ってしまう。ありとあらゆる材料で弓を作った初期バロックの人々がおそらくそうしたように、材料を手にして取り敢えず叩いてみる。良い弓になりそうな材料は手に伝わる振動や重量感で何となくわかるのである。ある程度強度があって、比重がペルナンブーコに近い材料は普通に弾ける弓になる。より軽い木材でもブナや一位、そしてホームセンターにて数百円で買える東南アジア原産のラミン材でさえ、きちんと寸法を調えさえすれば弓と呼べるものになるのである(きっと大航海時代には既に試したことがある材料だと思う)。少し変わった材料ではアフリカに生えているジェラフソーンというキリンが闊歩している場所で採れるマメ科の木を使うフランスのジルズ・ネアという弓職人がいる。ジェラフソーンは非常に硬く、目の覚めるような素晴らしい音がする。
無垢材である必要もなくて、集成材であっても弾きやすい弓は出来る。かつてラフラーが作った弓には5枚の薄板を貼り合わせたものがあって、これを初めて見た時には「こんなことをやって良いのか」と大きな衝撃を受けたものだ。アメリカの弓職人、ロドニー・ムーアは竹の集成材を使った弓を試作している。とても弾きやすい弓であった。昔は折れた弓は修理してもしょうがないと思っていたが、最近では折れた弓でもセンチメンタル・バリュー(思い出など)を見出す方がいるのであれば直すことにしている。色々集成材で作った弓を見て視点が変わったからである。接いだ弓が弾きにくいのであればそのようなこともしないが、ちゃんと弾けるのであれば大いにやっていいと思う。
素材が何であれ弾きやすい弓が出来るのであれば、それ(素材)はおそらく弓の本質ではない。道具としての機能のみに着目し、弓に一番大切なことは何かと言えば、削りによる寸法のグラジュエーションだと思う。釣り竿や日本刀、バットやゴルフクラブなど力を伝える道具には美しいテーパーがあるように、弓では棒切れがテーパーを付けることによってしなりが生まれ、途端に弓として機能をはじめる。強い弓、弱い弓、色々あると思うが荷重を機械的に測っただけでは見えてこないものがある。基本は均等なテーパーであって、伝統の中ではコンパと呼ばれるゲージを使い均等な削りを目指すことになっているが、実際にはメーカーごとに特徴がある。トゥルトらしさ、ペカットらしさ、ボワランらしさといった使用感の違いはグラジュエーションの違いによるものが大きい。「もう少し手元強くならない?」とか「先端、もう少ししっとりとしているといいね」などと、当時の音楽家の要望に応えていくうちに異なるグラジュエーションになっていったということだと思う。不思議なもので強い材料を使ってもある特定の寸法で削ると弓はしなやかになり、人によっては弱く感じる弓になってしまう。そこから更に異なる寸法で削り込んでいくとまた強い弓に戻る瞬間がある。削るので機械的に計測した荷重値は当然下がるが、弓としては強くなる。いつかこの辺りのことをどのような説明が出来るのか詳しく調べてみたいと思う。