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ペルナンブーコについて



ベルナール・ウーシャがミルクールで弓作りを教えた時に生徒達に材料を提供したのは、シャルル・アルフレッド・バザンであったという。次世代へ弓作りの継承が行われたことを見届けて、1987年に彼はこの世を去った。その後ウーシャスクールの生徒達は多くの弓を世に送り出した。人を育てる事にも余念が無く、近年欧州では多くの若者たちが弓製作に身を投じている。弓作りの文化が再び花開こうとしている。


そんな中、一つ気がかりなことは最近VSA(The Violin Society of America)よりまわってきた情報で、ペルナンブーコをCITES(ワシントン条約)カテゴリー2からカテゴリー1に変更する提案をブラジルが今年6月にしたという。次世代の為に日本でペルナンブーコを栽培出来ないかなぁ、などと呑気に考えていた矢先のことである。我々は環境に対して誠実でなければならない。一方で製品までもが規制の対象になってしまえば、弦楽器に関わる全ての人に影響が及ぶ。11月にはパナマにて国際会議が開かれ可否が議論される。ブラジルによる規制ビジネスの類いかと思いきや、今回は多くのブラジルにある弓メーカーを数年前からIBAMA(ブラジル環境・再生可能天然資源院)が大規模にガサ入れし、摘発している。違法な伐採がその背景にはある。新規の伐採は原則禁止されている。IPCI(The International Pernambuco Conservation Initiative USA)が中心となって植樹はしているものの、近年躍進しているあれだけ多くのブラジルの弓メーカーや材木業者を支える無尽蔵の資源があるわけがないとかねてより思っていたが、案の定である。ブラジルでは弓メーカーが材木業者を兼ねているケースがあって、彼らが渡航する際にイギリスやフランスへ向けた荷物が差し押さえられるということが相次いでいる。ペルナンブーコは2007年にCITESカテゴリー2に移行して以来製品は規制の対象外であったが、もし象牙と同じようにカテゴリー1になれば原材料のみならず、業者や音楽家でさえ弓を持っての国をまたぐ移動には必ず証明書やパスポートの類いが必要となる。古い弓であってもその証明が出来なければ動かすことが出来なくなるのだ。困難ではあるがいずれ日本でもその窓口や手続き方法の整備に業界をあげて取り組まなければならない。


20世紀にウーシャやバザン達が遺そうとした弓作りは、CITESカテゴリー1に移行となれば再び大きな試練を迎えることになるだろう。メーカーの勢力図は大きく変容し、新規に参入した若者達の中には他の道を探す者も出ることだろう。様々な環境問題においてもそうであるが結局、尻に火が着かないと人は行動を起こさない。代替材や新素材への移行も一気に加速するかもしれないが、アメリカでは事態を打開すべくロビー活動やIPCIの活動が2007年以来、再び活発化している。彼らのロビー活動のおかげで弓のチップ、フェイスプレートに関しての特例処置が設けられている経緯がある。いつの世においても先人達がそうであったように、しなやかさを忘れずに自分に出来る事があるのであれば探っていこうと思う。


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