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19世紀の風景-グランドツアー(欧州周遊)とシュポア Part2

ルイ・シュポア(Louis Spohr)はサンクトペテルブルクでは皇室オーケストラでバイオリンを弾いていた同い年のレミというフランス人と仲良くなり、夕食を共にし、毎晩のようにデュエットを弾いていたという。日記には1803年4月5日、シュポア19歳の誕生日に新たに作曲していったデュエット曲を弾き終えると、レミは感激し自分のガルネリとシュポアのバイオリンを交換しようと申し出たそうである。彼の楽器のほうが高価なものだったので一旦は断ったものの、誕生日プレゼントとして是非受け取ってくれと言われ、断る理由もなくなり喜び勇んで家路についたとある。


このガルネリは残念ながら後日(1804年1月)、パリに向けて演奏旅行を開始した直後に盗難に遭い彼のもとに生涯戻ることはなかった。パトロンであるブラウンシュヴァイク公はその後、ガダニーニとおぼしき楽器をシュポアの為にブラウンシュヴァイクで調達している。サンクトペテルブルクを離れる日にはレミと共に涙を流し再会を誓ったがその後、彼に出会うことは生涯なかったと後日綴っている。



シュポアについて調べ始めると、興行主としての一面が見えて面白い。曲を作り対価を得、また新曲を携えては各都市を周遊する演奏旅行に臨んだ。音楽家自身が行ったそのような自由な興行の在り方が今果たしてできるだろうかと、ふと考えてしまう。


ハープ奏者の妻とは何度も演奏旅行に出かけており、当然ハープには深い思い入れがありバイオリンとハープのデュエット曲を書いている。シュポアは多くの曲を遺しているが、中でもデュエットなど小編成の曲を多く書いている。人生の長い時間を費やした演奏旅行が関係していると思われるが、幼少期の体験もあるのかもしれない。


ジョスカン、パレストリーナへと続く西洋音楽の伝統は18世紀後半には宗教や貴族の手を離れ、ドイツにおいて中流階級の家庭ではごく一般的なものとなっていた。シュポア家の夜会(Soirees、ソワレ)ではフルート、ピアノに合わせて3~4歳から歌を歌い、後にバイオリンを弾き、自作の曲を披露していた。この小編成での夜会が彼の音楽家としての原点であり、この夜会にて1790年頃にフランス革命から逃れていたデュフォー(Dufour)という中尉の演奏を聴き、このフランス人からバイオリンのレッスンを受けた。後にシュポアがフランスのロードに傾倒したのはおそらくこのことが影響している。


Louis Spohr

当時の音楽評論家達がシュポアの演奏について多くの記事を残していて、「力強い、純粋で、しっかりとした姿勢、表現力に富んだアダージョ」など複数の評論家が同じような評価をしている。シュポアは身の丈が198cm(6フィート6インチ)の偉丈夫で演奏にも力強さがあって、アダージョの表現力に定評があった。


演奏のトレードマークとしてシュポアのスタッカートと当時呼ばれたものもある。一方で一部の評論家からの批判としてポルタメントを使いすぎで「芸術的なミャ~オ(猫の鳴き声)」と揶揄され、全てのパッセージをアレグロの特徴が失われるような途切れない弓使い(long-drawn-out uninterrupted bowstrokes)で演奏したとあり、これが何とかならないかと批評されたこともある。この弾き方は当時のフレンチスクールの特徴であったという。


1820年頃にシュポアがアゴ当てを初めて使ったとされているが、テールピースを演奏中に壊してしまうことがあった為、テールピースを保護する為に取り付けたらしい。高い身長や力強い演奏に加え、肖像画に見る顎の特徴など、幾分彼の身体的特徴にも理由があったのかもしれない。


1820年という年はシュポアにとってバイオリン奏者として最も脂がのっていた時期であり、色々なことを試した時期でもある。彼が史上初めて弓や指揮棒を使ってオーケストラを指揮し始めたのもこの時期である。またバイオリンのセットアップでは、通常より大分短いテールピースをこの時期に試していることがロンドンで出版されたQuarterly Musical Magazineという雑誌の記事になっている。


当時シュポアはロンドンに滞在しており、ロンドン中のバイオリニスト達がこのセットアップを真似た。弦が指板から戻る速度が速くなる(?)とあるがリスポンスが良くなるということだろうか。3月27日付の知人に宛てた手紙で「セットアップを変えて非常に具合が良いと思う。周りのバイオリニスト達が皆真似をし始めた」と述べている。


駒からのアフターレングスやテールピースの素材や重量を変えれば音や演奏性は当然変わるが、テールピースが壊れるとのことでアゴ当てを使い始めたのもこの時期である。弦楽器では何か一つの事を変えれば、他の変更も併せて必要になってくるので、アゴ当ての使用には或いはそのようなことが関係しているのかもしれない。


続く


参考文献


・Louis Spohr, A Critical Biography, Clive Brown:CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS

・Music and the Grand Tour in the Eighteenth Century

Hollander Distinguished Lecture in Musicology, Michigan State University, 15 March 2013




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