グランドツアーでイタリアを目指したのは芸術家も同じで多くの画家、彫刻家や建築家が溢れんばかりの芸術に触れるべく南を目指した。フランス人画家のドミニク・アングルもその一人である。アングルは新古典主義を代表する画家であると同時にバイオリニストでもあり多くの音楽家と交流があった。パガニーニとはイタリアで出会い、カルテットを組んで演奏もしている。シュポアはアングルがローマに滞在していた時期にイタリア各地で演奏旅行をしており、きっとアングルとも何らかの接点があったに違いない。
アングルは生涯に500を超える素描の肖像画を遺しているが、その中の一枚であるパガニーニを描いた絵の中でパガニーニが手にしているのはトゥルトのモダンボウであると以前に述べた。
もう一人19世紀の音楽の発展に欠かせないバイオリニストのポートレート(肖像画)をアングルは後に描いている。ピエール・バイヨである。コンセルバトワールを代表するバイオリニストでありロード、クロイツェルと共にMethode de violonを1803年にまとめ、1835年2月11日にはより重要なL’Art du Violonを出版している。
パガニーニ、バイヨ、そしてシュポアの3人を追っていけば19世紀前半の音楽事情が鮮明に見えてくる。
バイヨのL’Art du Violonに先んずる1832年にシュポアはViolinschule(バイオリンスクール)を出版している。バイヨとシュポアはお互いに面識があった筈だが、バイヨの本にはシュポアの名前や本のことが一切書かれていない。これはドイツ語からフランス語への翻訳が当時まだ為されていなかったことが関係していると言われている。Violinschuleの冒頭の序章を初めて読んだとき、明らかに他の教則本とは異なっていて、後進の足元を明るく照らそうという大いなる愛に満ちており、音楽家の覚悟と生き様に触れたような気がして深い感銘を受けた。
他の教則本と明らかに異なる点は、一時間目をまず図工から入る点である。シュポアははじめにバイオリンの構造から話を進め、自身のセットアップについて話をしていく。シュポアのG線側の指板にはナットに向けて徐々に浅くなっていくスクープ(掘り込み)がつけられていると自ら述べている。圧力をかけて強く弓で弾いた時にでる不快な音を防ぐためだという。現在は指板に反りがついている為、そのようなスクープはつけていないが、モダンボウや楽器のセットアップ、そして音楽が変わりつつあったことを示しているのだと思う。アゴ当てについても書いており、10年の間、シュポア自身や周囲のバイオリニスト達が使用し、テストをしてきたとあり、アゴ当てが1820年頃からその使用が始まったという通説の根拠となっている。
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出典:Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop"
ガット弦はG線の芯材の選び方からシルバー線の巻き具合まで細かく指示している。光沢があって、こぶのないもの(knotless)を選び、巻き線をあまり強く巻きすぎると音を鳴らすのが難しくトーンが粗くなり、緩すぎるとガットが乾燥するにつれて緩んできてしまい雑音のもととなるので注意をするようにと記している。一般に販売されているガットのG線に使用する芯材はあまりよいものが使われていないので、自分のストックから良いものを選び巻き方から指示すると良いとある。その際に下準備として使用していないバイオリンにド(C5)のピッチを維持するように数日間張っておき十分に伸ばしておくようにとのことである。
その他、弦については太さと音の関係や、イタリア産のものが良いことや、中でもナポリのものがローマのものより質が良く、ローマのものはパドヴァやミラノのものより良いとの記述がある。実に細かい。艶があって、こぶがなく、均等で良いサイズのものが見つかったら実際に使用する前にテンションをかけて、指で弾き均等に振動するか試すと良いとある。イレギュラーな振動があれば使用に適していないと図でこれを示している。
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出典:Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop"
シュポアは駒と魂柱について説明をするにおいて、これらを製作する職人は自身でバイオリンの演奏を行わない者が多く、音を分かっていないため自分で好みのセットアップになるよう監督しなければならないと説く。またこれらのことを学ぶ為に各バイオリニストはこれらの作り方を学ばなければならないと述べている。サウンドポスト(魂柱)の材料や立て方、駒による音の違いなどを説明する場面では普段から駒や魂柱を自ら削り、セットしたことがないと書けぬような描写をしている。おそらくシュポアは自身でこれらのセットを普段からやっていたかもしれない。
グランドツアーでは見知らぬ土地で異なる環境と季節を幾度も乗り越えなければならない。楽器屋が何処にあるかも分からない街にも旅したことだろう。当時の音楽家は現代の人よりも楽器を熟知しており、自分である程度の対処ができた筈だ。特にシュポアは生涯、何度もグランドツアーを行い、自身で調整やトラブルに対処できることの重要性を身に染みて分かっていた筈で、それが文面からもにじみでているように思う。こんにちのレッスン風景で、オープンフロッグの弓やガット弦の音色と共に抜け落ちてしまったものがあるとすれば、それはこのような図工の時間ではないか。自分の楽器や弓がどうしてこのような演奏性があって音がこうなるのか、もっと自分の楽器や音に主体的に関わって自分で工夫していくことがあってもよいのではないかと思う。シュポアの足跡を辿っているとつくづくそう思う。
続く
参考文献
・Louis Spohr, A Critical Biography, Clive Brown:CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS
・Louis Spohr's celebrated violin school.Translated from the original by John Bishop
・The Art of the Violin:Baillot