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トランジショナルボウ Part4-ドッドとトゥルトの風景

1820~1821年にシュポアが見たパリの音楽シーンは、ドイツ語圏のそれからみたものであってバイアスの塊ではあるが、トゥルト兄弟がどのような状況で弓を作っていたのかを知る手掛かりがあると思う。グランド・オペラ(Grand opera)様式に馴染みが無かったこともあるが、フランスのオペラについて古い音楽、特に半世紀以上前のオペラが未だに熱狂的に支持されていることについて違和感を覚えたことや、フレンチスクールのバイオリニスト達の演奏についてそれぞれ思うところを述べている。


トゥルトが優れた職人であり、それを生む技術的な土壌がパリにあったことは間違いないが、それだけではあの弓は生まれない。モダンボウを作ったもののそれを受け入れる土壌がなければ、「変わった弓を作ったね」と一蹴されて終わってしまう(弓の歴史はそのような弓で溢れている)。弓の形はその地域で好まれた音楽、演奏スタイルや慣習に影響される。技術的な水準からみればロンドンで先にモダンボウが出来てもおかしくはなかったが、まずパリで作られたこととシュポアが手記に書いていることは多少なりとも関係があるのではないかと思う今日この頃である。


シュポアがパリに到着した夜にクロイツェルはバレーを伴う自身のオペラにシュポアを招待した。この夜観たクロイツェル率いるオーケストラの正確な演奏には満足したものの、前座のジャン・ジャック・ルソー(Rousseau)が書いた“Le Devin du village”を観た際に、どうして今日までに書かれた素晴らしい作品が他に沢山あるのに、最も古臭いオペラをやるのか違和感を覚えたらしい。その後パリ滞在中に様々な劇場を回りその想いを更に深めた。ケルビーニやメユール(Mehul)の傑作ではなくて、不正確でハーモニーに乏しいグレトリ(Gretry)のオペラを熱狂的に支持するのはなぜだろうかとも述べている。またモーツァルトの魔笛(Zauberflote)のフレンチ版である“Les Miseres d’ici ”においては、モーツァルトの他のオペラの楽曲やハイドンのシンフォニー少々が混じっていることに困惑している。

フランスの劇場やそこで好まれた音楽はシュポアがそれまでに訪れた国々のものとは明らかに違っていた。フレンチスクールのバイオリニスト達の演奏については詳しくその特徴を述べている。


知人への手紙4通目において―Autobiography by Louis Spohr P.127


”ここに来た重要なもう一つの目的も叶えることができました;パリに今いる最も名高いバイオリニスト達の演奏を聴く機会があったのです;演奏を聴きたいと伝えるとバイヨは自宅でソワレ(soiree、夜会)を開いてくれました;ラフォン(Lafont)は彼のコンサートで;クロイツェル弟(Jean Auguste Kreutzer)とアブネック(Habeneck)はそれぞれその為にモーニングコンサートを開いてくれました。この4人のうち、誰の演奏を最も気に入ったと思いますか?演奏(の出来栄え)でいうならばそれは間違いなくラフォンです。彼は演奏の中で美しい音色、純真さ、力強さ、優雅さを織り交ぜています;もしこれらのクオリティーに加えて、彼が感情表現により豊であり、またフレンチスクール特有のフレーズの最後の音を強調することさえしなければ完璧なバイオリニストと言えるでしょう。しかし彼には、他のほぼ全てのフランス人にも言えることですが、良いアダージョを想い描き演奏することに必要な感情(feeling)が完全に足りないのです;彼はゆるやかな楽章を多くの上品で綺麗な装飾音で着飾ってはいるものの彼の演奏はやや冷たく感じられます。アダージョはこの場所(パリ)のアーティストや聴衆にとってコンチェルトの中で最も重要ではない箇所でありまして、速い主題をその他からわけて強調する為だけにあるようです。

Charles Philippe Lafont-Wikipediaより

この関心の無さについて―現に感情について全てのことにフランス人が関心のないことについて―私が弾いた鮮やかなアレグロパートに比べ、アダージョとその演奏について聴衆の反応が薄かったのもそこに原因があると思うのです。ドイツ、イタリア、オランダ、そしてイギリスでそのように弾いて喝采を受けることに慣れていたので、フランス人が全く反応しないことに当初甚く傷つきました。でもここのアーティスト達が滅多にまともなアダージョを弾かないことと、それによって聴衆の(アダージョを楽しむ)趣味が育たないことを知って平静を取り戻しました。例えその最後の音がタイミングの悪い場所にあったとしても、アップボウで一気に力を加えて最後の音を強調する慣習については、多かれ少なかれ全てのフランス人バイオリニストがやっていることですが、ラフォン程、これを誇張している人はいません。私にとって、例えるならば話している人が急に言葉の短い最後の音節(シラブル)に力を込めて話すような(語尾を強める)、この不自然なアクセントをつけることがどうして始まったのか理解できません。もし音楽を演奏することが人の歌声を理想とするならば(私の意見では全ての演奏者はこれを目指すべきです)そのような間違いが慣習となることは無かったと思います。しかし、パリジャンはこの不自然な慣習に慣れていて、外国人がこのおかしなマナーで弾かないものならば、彼らにとっては単調で、Sieversさんが言うには、真っ直ぐ過ぎるのだとか。”


続く


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