![](https://static.wixstatic.com/media/fb0388_9bdc0c14baf54125abae5ff990113580~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_742,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/fb0388_9bdc0c14baf54125abae5ff990113580~mv2.jpg)
「ああ、こいつは上手い」と誰もが認める天性の才能を持った天才(変態)はいる。そんな人は大抵、初めての仕事もパッと上手に再現できる能力がある。一方で当初、不器用に見える人でも時間をかけて上手くなる人がいる。ずっと諦めずに続けているうちに突如、全てを理解したかのように上手くなる人である。楽器作りにはどちらが良いともいえない。勿論物作りの素質に恵まれているに越したことはないが、根気よく追及することもまた才能であるからだ。仕事は速いがずっと雑な人、一向に速くも上手くもならない人も中にはいるが、そんな人はきっと他に恵まれた才能があって自分を活かす場所が他にあるに違いない。
1970年に始まったミルクールの国立弦楽器製作学校では初年度を除き、毎年14歳から17歳までの応募者300人程の中から書類選考、健康診断などを経て約60人が面接へと進んだ。そして4人がバイオリン製作へ進み3人が弓製作へと進んだ。面接の際、校長の脇にはルネ・モリゾーとベルナール・ウーシャが控えており、校長との面談が終わると素質を見極める為に幾つかのテストをしたという。ストラドとガルネリの写真を見せて違いを述べさせる、或いはバイオリンのコーナーなどをナイフで削らせ、木の逆目を自然に回避しながら削ることが出来るかといった実技もあったらしいが、実技は多くの者がこの時点では不出来であった為、1977年以降行われなくなったという。テストの内容は年度によって異なり、最終的にバイオリンの絵を忠実に描かせるところに落ち着いたらしい。最も優秀な生徒達はルネ・モリゾーがバイオリン製作の生徒として採り、次に優秀な者たちが弓作りにまわされたという。狭き門を潜り抜けて入学した後もやはり向き、不向きがあったようで、最終的に弓製作で卒業した者は10年間でたったの18人であったという。この18名の大半はミルクールで楽器作りを習うつもりであったといい、最初から弓製作をするつもりで応募した者は若干名であった。
ベルナール・ウーシャがどのような基準で生徒を選んだのかわからないが、2番手の学生を選んだあたりが個人的にはミソではないかと思う。弓作りは楽器本体の製作に比べ認知度も低く華がない。ヴィニェロンが一日一本作ったと言われるように、本体に比べ工期も短いので飽きずに淡々と目の前の繰り返す作業をやっていくことも必要なのである。物作りの才能に加え、根気よく続けることが出来そうな人を選んだのではないだろうか。
ウーシャは生徒を指導するにあたり自分が祖父や父から学んだとおりに教えたという。
(続く)
参考文献:The Bernard Ouchard Bow-Making School in Mirecourt, France, from 1971 to1981. By Olivier Fluchaire 2011