イタリアのトリエステに保管されているタルティーニが使用した2本の弓は実寸で71.5㎝と71.4㎝で2本とも40gm前後であり、とても軽い。長さを考慮すると極端に軽くよく言えばしなやかで、現代の感覚からストレートに言うのであればフニャフニャの弓であって強い弓ではない。当時においても一般に流通していた弓と比較して強い弓ではなかった筈だ。調整で反りをモダンの感覚で入れなおせば今でも十分使える弓になるのだろうが、それをやってしまっては別物になってしまうのであまり意味がないのかもしれない。タルティーニは自身のメソッドの中で‟弓の真ん中のみを脱力した状態で使え“と述べているが、これは使用していた弓のせいであったのではないかと音楽学者のロバート・セレツキー氏はとある論文で述べている。自らが使用している道具に合わせてメソッドを編み出しそれに基づいて生徒を教えた特異なケースであったのではないかというが、楽器を教える、学ぶということにはそのようなことがある程度付き物ではないかと思う。師匠の言わんとすることを理解する為には同じ道具を持っていなくては正確に伝わらないことは、現在でも同じことが言える。タルティーニメソッドは彼が使っていたような長くてしなやかで軽い弓を持っていることを前提としていて、それを使いこなせないと成り立たないメソッドであった。一昔前のコレッリが短いショートボウで端から端まで大音量で弾くことを求めたことと比較すると対照的である。当時大いに流行ったジェミニアーニやモーツァルト(父)のメソッドに対し、タルティーニのメソッドがメジャーになることがなかったのはこの特異性にあるとセレツキー氏は言う。18世紀にタルティーニの教え子達の演奏を聴いたモーツァルト親子は敬意を示しつつ、彼らの演奏は音が小さく物足りなかったとそれぞれ書いており、タルティーニメソッドの演奏は完成度や繊細さに優れていたものの総じて音量が小さかったという。想定していた音楽や環境の違いもある。ソロやデュオで弾くのか、或いはオーケストラで弾くのか、演奏した場所が教会のようによく響く場所であったのか、或いは消音用の絨毯を敷き詰めた貴族の館であったのかによっても出すべき音は異なっていただろう。教会にて少人数で弾くには十分であった筈だが、クラシカル期に向かいつつあった時代においては物足りなく古いスタイルになりつつあったのだろう。
ルネサンスボウのような40gmを切るような軽い弓でも大きな音をしっかり出せることを自分は色々試して知っているので、メソッドが普及しなかった原因としてセレツキー氏が言うほど弓の影響はなかったのではないかとも思う。タルティーニ本人はきっと軽いしなやかな弓を完璧に使いこなして、大音量でいかなる音も出せたのではないかと思うのである。