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変わるもの、変わらぬもの

18世紀後半に作られた弓の中にはフレンチグリップの影響で親指が触れるフロッグ底面が摩耗していると言われる弓がある。楽器や弓では奏者が日々触れる箇所が摩耗していく。今まで見た中で一番凄いと思ったのはフルールに穴が開いたバス弓を見たことである。汗と日々の摩擦によって減っていった結果である。

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フロッグ底面が摩耗した弓
フロッグ底面が摩耗した弓

出典:Bernard Millant, Jean Francois Raffin, Bernard Gaudfroy and loic le Canu

- L'Archet, volumes I ,P194"



フルールに穴が開いたバス弓
フルールに穴が開いたバス弓

モダンボウでは繰り返し親指が当たるフロッグのサム・プロジェクションが徐々に丸くなっていく。これを何とかしようと19世紀には弓職人のパジョーなどがサム・プロジェクションの先端に金属板をつけた弓をつくったが、親指が痛いので当時から音楽家には不評であったらしい。わざわざ銀より硬いニッケルシルバーを使ったので奏者には不快極まりないものであったであろうが、これらのフロッグはおかげで現在もさほど摩耗していない。スティックでは親指の当たる八角底面がえぐれて穴ができ、小指と薬指の当たる八角上部が摩耗で丸くなっていく。摩耗は音楽家が日々人生をかけて音楽と向き合った証であって、自分は思わず尊さを感じてしまうが、高い楽器や弓では是非保護テープや革を貼って頂きたいと思う。

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出典:FRENCH BOW MAKERS/Anton Lu:P227"


文化や習慣はそう簡単に変わらない。1720年頃よりフランスにおいて先進的なバイオリニスト達は次第にイタリアングリップに移行していくが、フレンチグリップは1763年においても存在していたことがリヨンに当時住んでいたバイオリニストで教師でもあったブリジョン(C.R. Brijon)の著書などでわかっている。リュリ以来の伝統は18世紀後半に入っても生き続け1773年にグルック(Christoph Willibald Gluck)がマリーアントワネットの支援のもとにパリでオペラを上演した際、そのリハーサルで従来の表現や歌い方を変えようとしないオーケストラや歌い手達との間で大いに揉めたという。ノスタルジアとアヴァンギャルドは芸術の中心にあってモンテヴェルディの時代から数々の論争を生んだ。18世紀にはリュリ派・ラモ―派論争やブフォン論争があって、ブフォン論争と時を同じくしてジェミニアーニ (Geminiani) やクヴァンツ(Quantz)がイタリアの奏法やイタリア・フランス双方をミックスしたスタイルについてフランス語で著書を出版しているが、その後も変わらず古きを貴ぶ人が大勢いたことを前述のフレンチグリップの弓は物語っている。



コロナ後の世界について色々な方と話す機会があって、今の生活様式が今後続くかどうかについて聞くと「続かない」「1~2年後にはもとに戻っている」という見方が多い。またコロナ後に訪れる社会がエマニュエル・トッドの言うように脱グローバリゼーション、ポスト民主主義であるのかよくわからないがブフォン論争でルソーが批判したのはラモ―やフランスの音楽であると同時に旧態依然とした体制であり、階級社会である。その後フランス革命へと繋がる流れを見るとトッドの言うような何か大きな変化もあり得るのではないかと思う。楽器や音楽が今後どのようになっていくか想像がつかないが、個人的にはどのように変わっていくのかとても楽しみである。


参考文献:

Bernard Millant, Jean Francois Raffin, Bernard Gaudfroy and loic le Canu - L'Archet

村山 則子-ラモー 芸術家にして哲学者-ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで

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