”自分が19世紀に行っても、或いはトゥルトが自分の工房にタイムスリップをしてきたとしても、何一つ変えずに普段通りの仕事ができるよ”
弓職人は自分の手仕事に対する矜持を表す際にこのようなことを言うことがある。実際には、あまり根本的に変えようがない化石のような仕事というのが本当のところではないか。
パリのトゥルト工房を見てみよう。窓から差し込んでくる自然光を頼りに仕事をし、床には朝にパン屋から分けてもらったであろう炭を入れたダッチオーブンが置いてある。ミルクールではかつて朝にパンを焼く薪が弦楽器を作る際に使用したメープル、スプルースであったといい、弓職人はパン屋が一仕事終えた早朝にダッチオーブンを抱えてパン屋に行って、メープルの炭を貰ってくるのが日課であったという。パリではどうであったかわからないが、風景は似たようなものであったと思う。左上の棚にはおそらくオイルなどが入ったビンやポット類が並ぶ。左から2番目の棒のような物が挿してあるものはおそらくグルーポットで、ダッチオーブンにくべてニカワを温める為のものだ。反り入れと接着は朝の仕事であったし、日が沈む夕刻には仕事を終えて店じまいをしたのだろう。右上の棚にはペルナンブーコの板がストックされていて、左片隅に立て掛けてある弓鋸を使って、板からブランクを切り出したと思われる。壁にかかっている大きなレベリング・プレーン(鉋)はペルナンブーコの板の平面を出す為のものか、ヒル商会がイギリスでやっていたように、鋸で真っ直ぐなブランクを切り出したあとにギザギザになった断面を平らにならす為のものか定かではない。
いずれにせよワークベンチに置いてあるブランクはあまり反りがついていないので、反りが完全に入った状態でカットしたという“完全な”削り弓というものはかつても存在していなかったのかもしれない。孫とみられるアシスタントが手にしているものは手動のボウ・ドリルでフロッグ、或いはボタンの加工をしているようである。チェロがこれ見よがしに置いてあるということは、もしかしたらトゥルトはチェロ弾きであったのかもしれない。
もう一つ注目すべきものは、仕事場のコーナーに趣味であったとされる漁具が置いてあることである。伝説では釣りに行った水辺で陸揚げされていたペルナンブーコ材を発見してこの材料の使用を思いついたと言われているが、ペルナンブーコ材はバロック期に既に使われているのでこの話は伝説の域をでない。トゥルトのことである。釣り竿はきっと自分で作っていた筈で、ビヨームスケールに見られるような理想の強さと、しなやかさを日々追及していたのかもしれない。トゥルトを巡る妄想は尽きることが無い。
参考文献: Francois-Xavier Tourte Bow Maker, Stewart Pollens and Henryk Kaston with M.E.D. Laing,Machold Rare Violins, 2001(写真:P49,P70)