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弦と楽器と弓 Part2


Heinrich Ignaz Franz von Biber

弓屋のくせに俄かに弦や楽器を調べ始めたのは、異なる弓を手にした時にその下にあったであろう弦や駒の形がシステムとして気になっているからである。19世紀に作られた弓の下にあった楽器はどのようなセットがしてあったのか。或いはビーバーやヴァルターなどが手にした大きくアウトカーブした弓と、ヴィヴァルディやヴェラチーニなどが手にした直線的な弓では、できることが違うのだからきっと楽器のセットアップも違ったのだろう、などと考えているうちに実際はどうであったのか気になってしまい調べ始めた。色々調べてはいるものの、何となく既に答えはこうであろうというものがある。


どのような楽器に、どのような弦を張って、どのように構えて、どのような弓を使って、どのような音楽を奏でたのか。


それを考えていれば何となく見える姿がある。ヘッドと弓を持つ右手の真ん中に頂点のあるような大きくアウトカーブしている弓は、古くはリラ・ダ・ブラッチョなどの演奏に使われ重音奏法を得意としている。18世紀初頭の一般的なイメージにあるようなフラットな駒では移弦が上手く出来なかったに違いなく、イタリアの音楽家とは異なるセットアップをしていただろう。


古い時代の駒や指板、そして上ナットにおいて、一般的な大人の手に心地良いサイズから大きく外れるようなものを私は未だかつて見たことが無く、実際、駒のカーブ、そして弦の間のクリアランスは僅かしか変わっていないし、楽器の異なる音域を奏でていくにあたり演奏者は各弦の間隔が均等であるように感じたいので、為された変更はその範囲でのことである。

The Baroque Cello Revival P.24


スミソニアン博物館のコレクションをはじめ、多くの古楽器を調査し、修復を手掛けたウィリアム・モニカル(William Monical)は生前あるインタビューでこのように述べている。彼はバロックセットアップという言葉を敢えて使わなかったが、弓の毛束が弦に接地するポイントに重きを置き、弓のクリアランスを確保したあとは音楽家の表現したい音楽に添う形で楽器のセットをした。多少身長など体格が当時と変わっているとしても人が人であることには変わりがないのだから我々の身体的特徴から必然的に楽器にできることは限られていて、バロックだからといって身構えて楽器に対するアプローチを変えるようなものではないというのが彼の考えであった。今の我々にとっても自然で心地の良いものを目指せば良いというのである。


長さに関して言えば、当時の状態で現存するヤコブ・シュタイナーのバイオリンネックの長さ(ナットから)は130㎜で現在の基準と変わっていないものもある。一方、線巻の弦の発明によりチェロは小型化し、大きな楽器はカットされ小さく作り変えられたものもある。駒や指板、上ナットのアーチに関してモニカルは興味深いことを述べていて、指板の芯材としてかつて使われたウィロー(willow、柳)やメープル、スプルースは外側に貼られた黒檀のベニヤ板に引っ張られて時の経過と共にフラットになる傾向があるという。古い楽器の上ナットを外して、固定されサポートがある為に経年変化による影響を受けにくかった指板の先端部分を観察すると昔の指板は実際にはもっとカーブしていたことがわかるというのである。よって博物館等に現存するオリジナルのフラットな指板が当時使われていたもの全てを表しているわけではないとも述べている。特に低音楽器の低音弦サイドは振動のクリアランスを確保する為に急に落ち込むカーブであったという。


大きく変わったものでは、ネックの角度がある。ネックの角度は弦の進化によって変わっていき、19世紀、1870年頃の楽器では現在市販されている加工前の駒がギリギリ足りるか足りないぐらいの高さまで弦高があったという。高い弦高がより大きな音を生むと信じられていた為で、一旦軽くなった弓がまた重くなるのもこの頃のことである。弦楽器では弦と楽器と弓がシステムとしてお互いに影響しあっていて、一つのことを変えると次の変化が生まれる。当然ながらでてくる音も劇的に変わり、音楽にもインパクトがある。線巻の弦の発明と時を同じくして、弓ではアムレットの使用が主流になる。スチール弦が登場した20世紀にはラミー、サルトリースタイルの弓ではなくペカットなどの古いモデルを試したメーカー達がいたが、何かしら関係があるのではないか。


各国にはそれぞれ国を代表するような音楽博物館がある。アメリカにはスミソニアンがあってサウスダコタのヴァーミリオンには国立音楽博物館もある。メトロポリタンやボストン美術館のみならず、地方都市の小さな美術館にさえ思わず2度見をするような楽器が置いてあってびっくりすることがある。イギリスにはアシュモレアンなどがあり、台湾にはチーメイ(奇美博物館)があって世界各国から研究者が訪れている。これらの博物館の中には資料が欲しいとコンタクトを取れば、先方の学芸員がまとめたものを取り寄せることができるところもある。様々な情報はネットで得ることが出来るようになっており、いつかは実物を手にしているような体験ができるようなシステムが出来るかもしれないが、まだ先のことだと思う。日本にも先見の明を持った先人達がいて良いコレクションが存在するが、ハコを作っただけの感があって残念ながら研究らしいものが十分になされているとは言えない。日本にも弦楽器研究の拠点となるような場所があれば良いと思うし、“なかったこと”は新しいなにかを生み出す可能性だと捉えて何が出来るのか探っていきたい。


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