top of page

移ろうかたち

バロックからモダンへ

弓のかたちは長い歴史の中で社会や音楽のありようと共に変化し、特に18世紀に入り目覚ましい発展を遂げた。19世紀初頭にミシェル・ウォルドマー(Woldemar)やピエール・バイヨ(Baillott)が記した教則本の挿絵は、この1世紀足らずの間に起きた発明と弓の進化をよく捉えている。モダンボウとは逆に反りが入っているコレッリ・ボウ、タルティーニ・ボウでは反りがなくなり真っ直ぐになった。トランジショナルボウと呼ばれるクラマー・ボウではヘッドが高いアックス(斧)型になり、ビオッティー・ボウで反りがモダンに変わる。

18世紀初頭には35~40cmのショートフレンチ・ダンスボウもあれば、70cmを超えるロングイタリアン・ソナタボウも存在している。ダンスボウとは、ダンスの伴奏に用いられた弓のことで、通常ボーカルパートなどと一緒に演奏されメロディーを奏でるものではない。一方、器楽曲が発達したイタリアではタルティーニが教えたようにメロディーを歌うように弾く奏法が好まれた為、スラーのしやすい長い弓が主流となる。


現代に生きる我々がバロックの弓を見る場合に考慮しなければならないことは、バイオリンの構え方が各メソッドによって違ったということである。前述のタルティーニやクラマーはテールピースより右側に顎を載せて演奏し、ビオッティーは左側である。胸や肩に押し当てるように演奏する方法もあり、18世紀の弓の多様性はこのことによるものと言ってよい。フランス革命後にパリにコンセルバトワールができて構えや演奏方法が統一されると、以後弓の形が大きく変わることはなくなった。


バロックボウからモダンボウへ移っていく過程を設計から紐解いていくと、長く均一な音をよりはっきりと出したいというプレーヤーとメーカーの欲求が垣間見える。軽くヘッドの低いバロックボウでは重心は手元寄りになる。これらのいわゆるパイクヘッドのバロックボウで音を出すと弱く小さく始まり、大きくなり、弓先に移動するにつれて徐々に小さくなり、先弓で抜けるようにフッと消えるイメージがある。コレッリ・ボウのボーイングスタート音について、レオポルト・モーツァルトは“ストロークはじめの柔らかさ”と記している。これを均一に大きな音をはっきりと出るよう変えるにはどうすればよいのだろうか?ピークアウトをしないように、どこを弾いても同じようにしたいのであれば、イメージとして手元のフロッグと同じようなものをもう一つ先端に持ってくればよい。ただ単にヘッドを高くしただけでは安定感や、弦とのコンタクトを失うので反りを逆に入れて弦とのコンタクトを確保している。


オープンフロッグとフルールについて

音をはっきり大きく出したいという欲求から、弓のヘアー・リボン(弓毛の束)も18世紀初頭から19世紀の終わりにかけて徐々に幅広くなっていく。平均的な数字をあげるとコレッリ・ボウではリボンの幅は6mm~と狭く、トランジショナルボウで9mm前後になり、フランソワ・トゥルトでは約10mm、プカットで約11mm、ラミーやサルトリーで12mm~13mm前後である。バイオリンで13mmを超えると不具合が起きるらしく、これ以上のものはその後でていない。


バイオリンのフロッグの金具に半円状のフルール(仏・パッサン)と呼ばれるパーツがあり、これがモダンボウの特徴とされる。古くはガットのバンドを使っていたこともあったがこれは音に直接影響のあるものではなく、演奏中に弓毛がオープンフロッグのヘアー・チャネルからずれないようにするものであった。18世紀末(1783年頃)トゥルトがフルールを発明して以来、モダンボウは約10年をかけドイツやオーストリアに伝わる。モーツァルトは生涯このフランスのモダンボウを知ることはなかったと言われている。その後もこの発明は海峡を渡りイギリスへ伝播しDoddとなり、北はロシアに伝わりKittelを生んで主流になっていく。ただしフランスにおいてもゴーラ(Gaulard)やアルマン (Harmand)といったメーカー達は19世紀に入ってもオープンフロッグのバロックスタイルを捨てなかったし、安い弓の大半はまだオープンフロッグのままであり、普及にはその後数十年を要している。


19世紀にゴーラがオープンフロッグによる製作を貫いた理由の一つとして考えられるのが、音の違いである。弓の音は使っている素材や反りの形状など様々な要因で変わるが、空中で音のベクトルが全方向に拡がっていくかのようなバロックらしい音は、フルールとヘアー・スプレッダー(楔)がないことによるものと言える。モダンボウでは一転して音は一点にフォーカスしてホールの後ろを目指して力強く飛んでいくイメージだ。あるチェリストがアルシェに修理で持ち込んだゴーラの弓を例に見てみよう。彼の弓は1830年頃に作られたもので、多くのゴーラの弓が辿ったように後の修理者によってフルールとパールスライドが既に取り付けられていた。この弓はヘアー・チャネルが非常に浅くクサビ状のヘアー・スプレッダーが入らないので、毛がテープ状にまとまらず音がぼやけて聞こえるので何とかならないかという依頼であった。スプレッダーが入るように加工すると、毛がまとまって音がフォーカスしたのでこの依頼主には満足して頂いたが、19世紀初頭に弓を作っていたゴーラからすれば後世、自分の弓がそのようなことになるとは夢にも思わなかっただろう。



モダンボウの草創期には約20年の周期で新たな発明が起き、フルール、ボタンの金具、アンダースライドなどのパーツが次々と編み出された。これらのパーツの発明は弓のバランスを変えて、弓を持つ右手の位置をフロッグ寄りにして弓の毛を端から端まで使うことを可能にしたと言われている。しかし全ての演奏家が現在のようにフロッグに親指を当てて持つようになるのはまだ先のことであり、フルールのあるモダンフロッグへの完全な移行には半世紀以上の時を費やすこととなる。



・弓の形・音楽の歴史から見る弓の変遷

バロック   ラモ―vsリュリ論争、フレンチショートボウ(ダウンボウ中心の弓)vsイタリアンソナタボウ

古典    コレッリ、タルティーニ、ビオッティー、教本―ジェミニアーニ、レオポルト・モーツァルト、トゥルトペール・フレール―弓の真ん中が使いやすい弓,アップ・ダウンボウのバランス、フランス革命、フレンチスクール(音楽校)の台頭

ロマン派 ベートーベン期の弓、トゥルト、ペルソワ、プカットスクールの特徴-先弓を使い易くする工夫


後期ロマン派 より精緻に長大になる音楽表現と公演―疲れない弓の登場、ボワラン、トマッサン、ラミー、バザン


ロシアンスクールの台頭 弓を倒して力強く弾く演奏スタイルの確立、サルトリーの工夫

 サルトリーとイザイの交流 後期サルトリー 交流後の弓の変化


第一次世界大戦 ロッテ、モリゾー、E.Fウーシャ→ラミー&サルトリースタイルの継承、プカットへのオマージュ、E. Aウーシャ、J.J.ミランなど

        ~

第2次世界大戦 フランスの弓作りの危機


バテロー、ミランらによりミルクールに製作学校が開校、ベルナール・ウーシャの技術を継承し、世界各地で各々の個性を追求する弓作りが行われて現在に至る。ベースとなっている型はベルナール・ウーシャのもの。20世紀中頃、時代考証が盛んになり、バロックの研究が行われピリオッド奏法も一般的に行われるようになった。

鎌田 悟史

bottom of page